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日本人と「○○道」



目次

日本人と「○○道」

石井 昌幸/早稲田大学スポーツ科学学術院准教授

shutterstock_85523158 日本人は、「○○道」が好きだ。武士道はもとより、茶道や華道、柔道や剣道。とりわけアスリートには「○○道」好きの人が多いのか、相撲道や野球道なんてことを言いだす人までいる。

 「○○道」の「道」は、一本道である。日本では「ひとつのことを続ける」ことに、「いろいろやる」ことよりも高い価値が置かれている。野村元楽天監督は、現役時代に自分のことを「生涯いち捕手」と呼んだが、この「生涯いち○○」みたいな人生に対するスタンスは、今でも日本人の生き方として、あるいは職業倫理として、好意的にとらえられることが多い。

 「○○道」には、ひとつの重要な前提がある。「道」を極めた先には、「達人の境地」のような万事に通じる普遍的な世界が開けている、と言うものだ。だから「道を知る者」同士は、たとえまったく違う世界の人間でも分かり合える。名人同士が対談して、「うん、わかるわかる」みたいな話になるのである。大学の一芸入試も、メダリストの政界デビューも、そもそも日本ではこの「極めたる者の普遍性」のような観念を背景に成り立っている気がする。

 欧米に、こういう感覚はあるのだろうか。このコラムは英訳されるので、もしも欧米圏の人で、これを読んだ方がいたら、ぜひ意見を聞かせて欲しいものだ。私としてはいまのところ、欧米にはこうした観念は、ないのではないかと思っている。そしてこのことは、彼我のスポーツをめぐる文化を考えるときに、けっこう重要なのではないかと思うのだ。

 新渡戸稲造は『武士道』のなかで、武士道を騎士道と対置したが、騎士道の原語であるchivalryには、おそらく「道」というニュアンスはない。思うに、日本文化とヨーロッパ文化を比較する際、武士道と対置されるべきは、むしろルネサンスなのではなかろうか。サムライの世の中から一気に明治に飛んだ日本に対して、ヨーロッパ文化史にはルネサンスという巨大な移行期が、中世と近代とのあいだに横たわっているのである。

 ルネサンスというとダ・ヴィンチのような万能の天才がイメージされるが、日本人のほとんどが達人の境地に至ったりしないのと同じように、ヨーロッパでも多くの人は万能でも天才でもない。むしろ重要なのは、「いろんなことをやろうとする」とか「おしなべてひととおりできる」という「構え」というか、人生に対するスタンスのほうなのである。

 スポーツという文化を産み出した19世紀イギリスのアマチュアたちは、まさにこのルネサンス的な「構え」を、一種のアイデンティティとしていた。たとえば、『炎のランナー』という、20世紀初めの陸上選手たちの群像を描いた映画がある。主人公のハロルド・エイブラハムズは、ケンブリッジ大学で学びながら100メートル競走でオリンピック優勝を目指しているのだが、彼は同時に、大学の男声合唱団でテナーを歌い、仲間とオペラ観劇にでかけて舞台女優と恋に落ち、遠征に向かう船内ではピアノを弾きながら選手団のみんなと合唱して時を過ごす。彼はたぶんヘタクソな詩も詠んだことがあるだろうし、フランス語なんかもある程度しゃべれたりするだろう。

 19世紀から20世紀初め頃のアマチュア・アスリートとは、まさにそんな感じの人びとだった。だから当時、スポーツをめぐるアマチュアリズムというのは、お金を貰うか貰わないかもさることながら、むしろスポーツと向き合う際の「構え」の問題であった。「ひとつのこと」に生涯全力を傾注するなどは、生き方として美しくないと考えられていたのである。そこにはルネサンス的志向性がはっきりと影を落としていた。もちろんそれが、そうしたあれやこれやに十分な金と時間を費やすことができるという特権意識を背景としていたことは言うまでもないが。

 「道」を尊ぶ日本では、職人の評価が高い。長い年月をかけて磨き上げた「匠の技」は圧倒的な尊敬の対象だし、人間国宝なんかも、そういう尊敬心の上に成立しているのであろう。これはきっと、日本文化の美点である。だが、「道」的な生き方そのものは、「好み」の問題である、と言っておきたい。「器用貧乏」と言われようが、時間と金に多少の余裕があったら、なるべくあれこれとかじってみて、万能の天才でなくとも、やりたいことを「ひととおり」やってみる。そのなかに、いくつかのスポーツも入れてみる。これもスポーツとの豊かな関わり方だ。だから私は、求道派の体育会系学生も好きだが、ルネサンス派のサークル系学生も、ぜひ応援したいと思っているのである。

仏道は必ず行によって証入すべきこと【道元禅師・学道用心集】

日本の伝統文化は精神修養

 スポーツの教育現場で体罰やいじめが今、社会問題になっています。学校では実態が調査され指導者の姿勢や意識が問われたり、体罰やいじめがなぜ起こるのか、どうすれば改善し、いじめを無くすることができるのかが課題になっています。

 オリンピックに出場する女子柔道選手が強化指導方法に疑問を持ち、日本オリンピック委員会に訴えたことから指導現場の実体があからさまになりました。日本の伝統的なスポーツは、それぞれの組織体によって伝統が保持されてきました。それらの組織体質が構造的に旧態依然とした閉鎖社会であることから、さまざまな問題が生じています。

 日本ではスポーツのみならず、芸能や芸術、学問の世界でも、上下関係やしきたり、組織構造の面において、それぞれ独特な体質を持っているようです。生け花、茶は伝統的な家元制度により、絵画や彫刻などの芸術界でも、また俳諧など文化芸術の分野においても、伝統の保持がはかられる反面で、それぞれの組織体の中にいじめや体罰を生み出す体質を否定できません。

 伝統的なスポーツ、文化芸能、学問の分野では派閥、人脈、金脈がまかり通って有能な人材の育成や能力や技術の向上が妨げられることもあるようです。またいずれもが道という概念で把握されることから、それぞれの道で修練して人格の向上をめざすという、日本独特の精神修養という面を色濃く持っていることも、特徴なのでしょう。

日本人はどの分野でも、道という概念をもつ

 日本人はどの分野でも、伝統を受け継ぎ、技術や能力の向上をはかることと、人格的向上をめざすことを一体のものとしてとらえ評価するむきがあります。また囲碁将棋においては勝負で評価されるから、勝たなければ意味がないが、勝負にのぞむ精神状態も注目される。剣道でも弓道でも、身を守る術であることから、生き死にかかわることとして技の鍛錬とともに、精神の向上をめざすことがもとめられてきました。

 どの分野でも、道という概念をもってとらえようとします。柔道は柔の道といいますが、相撲でも新たに大関や横綱になった力士が、「今後いっそう大関や横綱の名を汚さぬように相撲道に励みます」などと口上を述べる。歌舞伎や能、舞踊などの伝統芸能や、華道や茶道、いずれも道として、その奥義を究めようとします。

 世の東西を問わず人の生きざまや、生涯を道であらわすことが多い。歌や詩にもうたわれるが、とりわけ日本人は人の生き方を道であらわすことが好きです。また人生を旅にたとえて、自分の生きざまという道を日々歩みます。そして、行く先を思ったり、足元を見定めたり、過ぎ去りし足跡をふりかえったりします。

 柔道、剣道、弓道など武道では心身技ともに習熟し、いっそうの人格の向上をめざすべしとします。相撲も相撲道として心・技・体を整えることをもとめる。茶道,華道、芸能においても同じであろう。それぞれの道を究めるとは修練することであり、仏道修行に通じるものがあります。

道とは人生そのもので、生きてる限りこれで終わりということがない

 学問は真理の追究であるとともに、それが世の中で役立つものでなければならない。技術も製品として買われて役立つことで評価を得る。スポーツ、文化芸能も世の人々に感動と生きる喜びをあたえるから、評価を受ける。一人の力は微力であっても、世の中に必要とされ、役立つことに意味があります。

 自分だからできることを通して、生き甲斐を感じ、感動し、やる気と根気を奮い立たせて、満足と挫折、希望と失望、喜びと悲痛をくり返しながらも工夫と挑戦を重ねていかねばならない。向上心を持って努力すること、そして感性を高めて工夫することは道の基本であり、忍耐と勇気がそれを支えます。

 道とは人生そのもので、死ぬまでこれで終わりということがないから、絶えず新しいものを求めて工夫し改善しそして挑戦しなければならない。それは「ものずくり日本」の不屈の精神そのものです。ところが技術大国日本がどこかおかしくなってきた。技術こそ宝だけれど、ものが売れなければ技術があっても宝の持ち腐れです。技術がうまく善循環して、さらなる智慧と技を高めて「ものずくり日本」の本領を発揮してほしいものです。

 学問も芸術もスポーツも、技術の研究開発も、道のめざすところは同じであり、その道を通して最高の人格に到達することです。したがって、いずれも命の尽きる際までそのことは続けられるべきです。長年続けてきた人はさらに奥義を究めようと腕に磨きをかけ、いっそうの向上をめざし、新たに始める人は、それなりの覚悟を持ってかからなければ中途半端なものしか得られないでしょう。そして最も大切なことは、最高の人格に到達することを導く有能な指導者を育てることでしょう。

道は必ず行によって証入すべきこと

 一昔前は55歳を定年として子を産み育てるや寿命が尽きたのですが、今は子育てを終えてさらに30年生きることになったから、この30年の生き方がとても大切になってきました。急速度でおとずれた超高齢社会での生き方に戸惑っている人が多いようですが、それは先輩達が人生50年であったから超高齢社会を生きるお手本がないからです。

 これでよいということは何ごとにおいてもないので、長寿の人生を死ぬまでどのように生ききるかということです。超高齢社会では人生50年の時代と異なるから、中高年は生き方を変えなければいけません。人生そのものが道だから、死ぬまでこれで終わりということがないのです。絶えず新しいものを求めて挑戦し、工夫し改善し修練を重ねていくことが大切です。

 「仏道は必ず行によって証入すべきこと」と道元禅師は学道用心集で説いています。それは行ずることがそのまま最高の人格に到達すること、すなはち仏と成ることです。仏道とは修行であり、行のめざすところは真理の体得です。関西弁で言うと「ほんまもん」の体得です。「ほんまもん」すなはち普遍的な真理(仏法)を自分自身の上に実現させること、普遍的真理に自己を同じくすることにほかならないのです。

 人が成熟するとは、最高の人格に到達することであり、仏道では悟りであり、仏となることです。あるいは仏とならずとも、それぞれの分野で菩薩として世のため人のためにつくせる人になることです。
 学問やさまざまな研究分野でも、スポーツや、芸能や芸術においても、めざすところは、いずれも最高の人格に到達すること、自分のみならず他にも幸せをあたえることであり、普遍的真理の探求に通じることです。

騎士道、武士道から考える、日本人、西洋人の思想

京都産業大学文化学部国際文化学科 佐々木 禎

はじめに

このテーマを選んだ理由は、騎士道、武士道は、一般的に同じような意味として捉えられるが、果たしてそれらは本当に、同じ物なのかという疑問をもち、それらの内容を理解する事で、自国の思想を再認識し、そのうえで多文化を理解しようと思うからである。

1.騎士、武士の台頭

まず、騎士と武士の台頭について簡単にまとめてみたいと思う。この二つの集団の成立に大きく関与したのが封建社会の成立である。11世紀、諸侯と騎士による主従関係の形成により、騎士が栄えていった。もともと彼らの基礎になったものはゲルマン民族の戦士であるといわれている。F・デュ・ピュイ・ド・クランシャンは、彼の著書『騎士道』の中で、このゲルマン起源説とは別に、ローマ起源説やアラビア起源説についても述べているが、現在一般的にはゲルマン民族の戦士に起源を持つという考えが主流であるとしている。(1)また騎士、とは馬に乗った戦士の事であるが、馬に乗り高価な甲冑に身を包む事で彼らは、その権力を誇示した。もともと貴族である彼らは、その当時、一般大衆に権力を行使した。彼らの権力は、伝統と武力の基に保障されていた。

武士にしても同じ事であり、鎌倉時代の頃に、荘園の制度が形成された。それにより今までの公家中心の社会から、武士中心の社会へ変化していった。この封建制度により騎士、武士はそれぞれ力をつけていった。

2.騎士道概念、武士道概念の成立

騎士、武士台頭の中で、それらの戒律として騎士道、武士道が成立した。ただ騎士道、武士道は単に戒律としてではなく、道徳的意味を多く含んでいる。

これらの道徳心が備わる以前は、騎士は単に野蛮で好戦的な存在であり、また武士も同様であった。これらの権力の、抑止力として働いたものに、道徳心がある。この考えは、宗教的思想を基に形成されていった。では、なぜ道徳を重んじるようになったのか?その理由としては、宗教の影響があったといえる。ヨーロッパでは、騎士の力が強くなっていたころ、カトリック教会は、イスラムの勢力や東方教会に自らの地位をおびやかされるのではないかという、恐怖感を持っていた。それらの力に対抗するためカトリック教会は騎士たちに保護を依頼する。このような背景のもとにキリスト教と騎士は、密接に関わっていった。

また、武士道においても、儒教、神道、仏教の思想の影響を色濃く受けている。道徳心は、宗教との接触により形成されらと考えられる。

3.武力と宗教

しかし、武力に対して否定的な立場であるキリスト教が、武力集団である騎士と関係を深めていく事ができたのか。その両者が、結びついていった理由には、キリスト教会側の、権力の失墜に伴う妥協があるといえる。実際テンプル騎士団という存在があった事からも、キリスト教聖職者が、武力と関わりを持つ事を積極的に行っていたことがわかる。彼ら、テンプル騎士団の主要任務は聖地の守護と、領地を通る巡礼者たちの警護である。また、彼らは騎士であると同時に修道士でもあり、キリスト教国で血を流すことを許された唯一の宗教者であったといわれていた。これは十字軍遠征をきっかけとして成立していったものであるが、キリスト教側の考えが時代の変化に伴い都合のよいものに解釈されてきたことが伺える。

また、武士道の道徳心の基礎ともいえる仏教もまた、武力に対して否定的な立場であった。しかし、仏教が例外的に武力と関わりを持つ事があったことは、日本史の中で確認できる。例えば、人々が末法思想の中、混乱した10世紀には、僧兵という存在があったとされている。彼らは仏教団体でありながら、人を殺していた。このように、宗教は人が創り出したものであるが故、その宗教を扱う人によって都合よく解釈され、利用されてきたのではないだろうか。

「教会が許容する戦争は、それゆえ理論的にみればそう数多くはないのだ。わずかにキリスト教擁護ということをはっきり目的として掲げたものだけである。また栄光あると形容できる戦争以外に、教会が大目に見てやらなければならないものもあった。明瞭に防衛だけのための戦争(それはしばしばキリスト教徒の王国の存立がかかっている戦争)がそれであった。(中略)極端に政治的な教皇や世俗的な野心に燃える司教たちは、それを助長したり、それに介入したり、あげくは指揮したりする事になった。教会とてもやはりこの世のものなのだ。」(2)また中世のヨーロッパで、発布された免罪符は、その札を買う事によって、今までの罪から解放されるというものであったが、これは、キリスト教のもともとの考え方から大きく逸れていたといえる。このように宗教はその理想と現実の社会の間で揺れ動かされてきた物だったとするのであれば、仏教、キリスト教がそれぞれ武力に対して肯定せざるを得なかった事は理解できる。

4.騎士道、武士道の道徳体系

(1)騎士道

シドニー・ペインターは、騎士とはただ馬に乗った戦士ではなく、忠節、武勇、気前のよさ、礼節、をもった存在であるとされている。そしてこれらは、騎士の基本的思想概念であるとしている。(3)

「忠節」これは、君主に対する忠誠、キリスト教、教会に対する信仰を表す事で表現される。
「武勇」戦いで敵を打ち倒す力の事。
「気前のよさ」気高さの象徴とされ、騎士の資質としてはこれが最も重要とされてきた。
「礼節」立派な騎士ならば、仲間には丁重に振舞ってしかるべきという考え方。

またカンブレーの司教は騎士道の戒律に次の八つの事柄を挙げている。(4)
1.日々、朝食前に、ミサにあずかること(ただし聖体拝領はない。)
2.随時おのれの生命に信仰を捧げる事。
3.寡婦と孤児を庇護する事。
4.いっさいの不義不正の戦いを慎む事。
5.不義不正に手を貸すのを拒み、虐げられた無実無根の者を保護する事。
6.つねに謙虚である事。
7.臣下の財産を保護する事。
8.主君に忠誠である事。

これらは上で述べた思想の実行体系を記したものであるが、これらはすべての物が堅守されていたものではないといえる。例えば4には「いっさいの不義不正の戦いを慎む事」とあるが、上で述べたように、騎士は、実際好戦的集団であり、おのれの利益のための戦いを行う事もしばしばあった。しかし、基本的にはこれらの考えを基にして騎士は行動していたといえる。

これらの事から見て取れるように騎士の行動には大きく三つに分けられると考えられる。一つ目は宗教的理由、カンブレー司教の挙げた戒律の中では、1、3、4、5がこれにあたる。二つ目に世俗的理由があげられる。これには、7、8にあたる。世俗的理由とは騎士の社会的立場に由来するものである。社会の中で騎士は主君に尽くす立場であったのはすでに述べたが、そういったところからくる思想である。三つ目は個人的思想、これは2、6にあたる。この三つの思想が柱となって騎士道的思想が完成していった。

(2)武士道

中世の時代には武士道という言葉は存在しなかった。しかしそれは「弓矢取る者の習い」として道徳精神は存在した。彼らは、利と名を重んじ、その二つのものが武士にとっての判断基準として作用していた。更に言えば名は、利よりも命よりも尊ぶべきものであり、彼らはそのため死という事よりも、不名誉を最も避けるべきものとした。その最も顕著な例として切腹が行われていた。この自らの名を汚さぬための切腹は源平時代から始まったと言われている。また戦で命を落とす事は、名誉な事であり、多くの武士が死んででも名を上げたいと思っていた。また死の覚悟のなされていない者は、容赦のなく蔑まれていた。彼らにとって名誉というのは、それほど重要なものであったのだ。

また新渡戸稲造は、武士道の基本理念について「義」「勇」「仁」「礼」「名誉」などの言葉を使って説明している。(6)

「義」:正義の道理、また孟子によると義は路である。

「勇」:義しき事をする事、義と同じような意味とされている。また、「勇」の行いとしては、武田信玄の国の弱体化を謀り、北条氏が武田氏との塩の交易を禁止した時、武田の敵であった上杉謙信は「我の公と争うところは、弓矢であり、米塩にあらず」として、武田側に塩を送った行為がこれに当たる。

「仁」:愛情、寛容をあらわす。「礼」社会的地位に対する正当なる尊敬を示す事。

「誠」:誠実、誠実さ無くして礼はないという考え方に基づく

「名誉」:行動の基準とされた。

そして彼らの行動には常に「武人階級の身分に伴う義務」(7)というものが存在し、彼らは、その義務を全うしなければならないとされていた。また新渡戸稲造は、武士道は仏教、儒教、神道の影響をそれぞれ受けていると述べている。神道が武士道に与えた影響としては、他のいかなる思想によっても教わることのなかった主君に対する忠誠、先祖に対する崇敬、さらに孝心などをその教義によって武士たちに植え付けるというところにある。神道の祖先や神への尊崇は、天皇を神としたことで、武士に愛国心と忠誠心をもたらした。また仏教は、運命を受け入れる事、そしてそれは、死に対する親近感をもたらした。儒教については、その道徳観が参考にされた。この三つの宗教のなかから部分的につまみ、武士道はその思想を固めていった。

(3)騎士道と武士道の違い

上で述べたように、騎士道と武士道の精神的内容は、共通点が多く見られた。だが、英語で騎士道は、「CHIVALRY」、武士道は、「BUSHIDO」として別々に認識される以上、まったく同じものではないはずである。もちろん武士と騎士に外見的な違いは、多く見られが、ここではそれぞれの思想である、騎士道、武士道の内面的な違いを明確にしようと思う。
新渡戸稲造の「武士道」の中で、「際立った違いは騎士道が封建制から離れたのち、キリスト教会に引き取られて、新たな余命を与えられた。だが、武士道はそのような庇護する大きな宗教がなかったことである。そのため母体の封建制が崩壊すると、武士道は孤児として残され、自力で生きなければならなかった。」(8)とある。

それは、騎士道、武士道が根付いた土地の文化体系が関わっていたと思われる。つまり我々日本人は、西洋人に比べて生活と宗教の関係が希薄なもので、また武士道と宗教の関係が騎士道とそれの関係より薄いものであったのではないだろうか。騎士道がそのよりどころの大部分をキリスト教に求めたものであったのに対し、武士道も一応、仏教、儒教、神道の思想と関わっていたものの、実際の武士たちにあまり宗教が根付いていなかったとしたら、武士道は、それ自体が、武士にとって宗教としての役割があったのではないのか。その根拠として、武士道をさす有名な言葉で「武士道といふは死ぬ事と見付けたり」という言葉がある。これは佐賀県鍋島藩士、山本常朝が「葉隠」のなかで読んだ詩の一部である。この歌から、武士道と死が密接に関わっていた事が伺える。しかし、もし武士道が仏教の死に対する概念をとりいれたのであっとしても、武士道における最大のテーマが死ぬ事には、ならないであろうと思われる。上でも述べたように、この死への特別な思いは、武士たちにとって一種の美学として発達したものである。武士たちは何よりも利と名を重んじる存在であったのだが、殉死する事により自分の名が世に留まる事を望んだ事によりこのような、宗教とは別の形で新しい道徳感が形成されていったのではないのだろうか。

以上の事より、私は、騎士道と武士道の一番の違いを、それらにおける宗教との関係性

であるといえると思う。つまり、騎士道が、ある程度キリスト教に則った形で変化したのに対し、武士道は宗教の枠を飛び越えていった物であるという点が二つの違いである。しかし、武士道にも宗教が関わっていた事や、騎士道も完全にキリスト教に沿って変化したとも言えない事は事実である。

5.異文化からの理解

では、騎士道をわれわれはどのように認識し、また騎士道概念が存在した西洋文化のなかで育った西洋人にとって、武士道はどのような認識をされているのだろうか。

もともと西洋の人々にとって武士道は、「CHIVALRY」として認識されていた。つまり騎士道、武士道は区別されていなかった。それどころか日本という東洋の中に騎士道精神に似た思想が存在する事さえ多くの人には知られていなかった。しかし、武士道は新渡戸稲造の「武士道」が世界的に読まれるようになってから世界的に知られていく事になり、またそれが騎士道とは違った性質を持っているたことを知られるようになる。この事により「BUSHIDO」が確立されたのである。しかし彼ら西洋人の多くは、武士道のあまりにストイックで自己犠牲的精神を奇妙で時代遅れなものとして認知したにちがいない。一方で一部の西洋人にとってその絶対的な忠誠心は、模範とされることもあった。元アメリカ合衆国大統領フランクリン・ルーズベルトは、この「武士道」を愛読し、武士に非常に興味を持ったと言われている。彼は、忠臣蔵の話などを本で読み日本の武士の行動に強い憧れを持っていた。現代の社会の中からも西洋人の武士道への憧れは、見つける事ができる。例えば昨年、ハリウッドで映画化された「ラストサムライ」という映画の中では、武士道精神が忠実に描かれている。この事からも、すでに武士道は、世界的に認知され、また多くの憧れの対象としてみられていることがわかる。

また騎士道は、現在、いくつもの、著書や映画などでとりあげられている。その内容の特徴には、騎士が戦闘集団であるにもかかわらず、華やかさを感じられることがある。これは騎士と女性との関係に由来するものと考えられる。武士が極端に男性的なものであるのに対し、騎士には、レディーファーストと言われる考えがあるように、いくらか女性的なものを感じる。かつて有名な騎士にジャンヌ・ダルクという女性騎士がいたように、武士道に比べいくらか女性が登場する機会が多い。そのような点が日本人にとって違和感を感じる点ではないのだろうか。

6.精神の存続

これら、二つの精神は、現在のヨーロッパ人、日本人にどのような形で残っているのか。

F.デュ・ピュイ・ド・クランシャンは“騎士道”の中で「中世という時代の一面を彩った騎士道はすでに死んだのだ」(9)と述べている。しかし彼は、スポーツとボーイスカウトには、騎士道精神の一部が引き継がれていたと言う。「それはスポーツのフェアプレー精神や、ボーイスカウトの国家に献身し、人生の闘争に勇気をもち、いかなる事情のもとでも誠実さを失わない」といったところが騎士道精神的であるとしている。しかしそれらもスポーツの営利目的化など、時代の変化に伴い、消えていったと述べている。とは言うものの、現在のヨーロッパの人々の行動の中には、騎士道精神を尊重している部分も見られる。例えば、イングランドのサッカーチームのユニフォームには、スリーライオンという紋章が見られる。ライオン紋は、昔から王家の紋章として重要視されてきた。この事からも、一部騎士道精神は、残っているのではないかと思う。

一方、武士道は騎士道よりその形を長い間、保ち続けた。鎌倉時代から続いたこの精神は、江戸時代が終わり、武士が姿を消す明治時代まで、変化しつつも、しっかりと武士の心の中に生きつづけた。例えば、江戸の末期頃、カール・マルクスは、彼の著書『資本論』の中で、「当時の封建制の活きた形は、ただ日本においてのみ見られる」と述べている。また、明治時代、武士の心である「まげ」を切ることに対して強い抵抗を感じた。この事からも武士道の精神は、少なくともこの当時までは、しっかりと残っていたといえる。では、それ以降はというと、太平洋戦争頃までは、それは残っていたのではないかと思う。

戦中の日本は天皇中心の社会が完成した。この天皇に対しての絶対的な忠義は、武士道の思想から来るものであったと思う。明治維新後の日本からは、丁髷や刀が消え武士道精神は、消滅したかに思われた。しかし武士のその絶対的忠誠心の矛先は、これまで藩主や藩から日本という国または、それを統帥する天皇へと換わっていく事になった。これにより武士道は、ナショナリズムへ変化していく事になる。しかしそこには武士道で最も重要とされた名の存在は薄くなり何より利を求めるようになっていった。この武士道の歪んだ形こそ日本のナショナリズム、そして後のファシズム的思想につながっていったと考えられる。戦後日本は敗戦により天皇は日本の象徴として存在しそのナショナリズムも失われていった。しかし現代の世になっても、日本人が武士道という言葉に対し、少なからず特別な感情を抱き、心揺さぶられるのは、心の奥底に過去の長い武士道社会の名残があるからなのかもしれない。

おわりに

今回、騎士道、武士道という二つの物をとりあげ調べていく中で、この二つは、ヨーロッパと日本における文化の縮図であるという印象をうけた。それぞれは宗教、政治、女性問題といった多くの要素から影響を受け変化しその形を確立していった。ここで述べている武士道、騎士道への文化の影響はほんの一部のところに過ぎないが、それだけでも多くの要素が絡み合ってこの思想が形成されていったことを知る事ができる。もともと同じ封建制度から始まった二つの文化は、それぞれの社会の影響を受け違うものへと変化していった。

この今はほとんど失われかけているといわれる武士道、騎士道ではあるが、その二つの思想は一部今も受け継がれている。現在の文化は騎士道、武士道も含む多くの要素のもとで成り立っていると思われる。


(1)『騎士道』p.12参照
(2)同上p.20
(3)『フランス騎士道 中世フランスにおける騎士道理念の慣行』第2章参照
(4)『騎士道』p.58
(5)『武士と世間』第三章参照
(6)『武士道』第一章参照
(7)同上p.27
(8)同上p.143参照
(9)『騎士道』第四章参照

参考文献

シドニー・ペインター『フランス騎士道 中世フランスにおける騎士道理念の慣行』松柏社
フィリップ・デュ・ピュイ・ド・クランシャン『騎士道』白水社
グラント・オーデン著『西洋騎士道事典』原書房
新渡戸稲造『武士道』岩波文庫
山本博文『武士と世間』中公新書

スポーツから見た日本の強みと弱みー道の文化と指導法ー

筑波大学大学院准教授 ソウル五輪女子柔道銅メダリスト
山口 香 様
(紹介者:尾?史生君)

日本には茶道、華道のように「道」の文化が多くあり、柔道もその一つである。道の文化の特徴は、流派を造った流祖の教えを凝縮させた「型(形)」を学ぶこと、即ち稽古。稽古には、古いものを考えるという意味がある。柔道の世界では、嘉納治五郎が作った型(形)を何万回、何十万回と繰り返すことが稽古。型(形)の意味を教えるのが道の文化ではなく、それを学ぶことにより日本人としての美徳や次の世代に伝えたいこと、師匠の生き方そのものを体得する。よって日本の先生はあまり教えず、私の柔道の仕事は道場に立って腕を組んで、見守ること。やらせることによって、型(形)の意味を自ら考えていく。

道の文化の教育体系のエッセンスが「守破離」という言葉に隠されている。日本の教育の場合は型(形)にはめることから始めるが、それが「守る」という意味。基本や基礎、物事の判断基準や物差しとなる土台を作ることである。次に「破る」とは、基本を元にして自分の味をつけること。つまり免許皆伝。そして今、スポーツ界でもう少し考えるべきところが「離れる」こと。最終的には実社会で応用しなさいということで、ここが日本の道の文化で最も素晴らしいところだと思う。これを、私たち指導者が様々な選手に伝えていく義務を最近は怠ってきていると感じる。私は柔道を四十年やってきたが、実生活で生かす機会はほとんどない。つまり、柔道でもスポーツでもそこで何を学んだかということが大事。「守破離」の「離」とは、基本を学び、殻を破って自分の個性を身につける過程で学んだことは、今後の人生でどこの社会、どこの道に行っても応用がきくということである。

「守破離」を若い人たちにもわかるように説明しているが、「守る」とは「わかる」、「破る」は「できる」、「離れる」は「使える」ということ。スポーツの社会で実社会と言えるのは試合。どんなにうまくても、試合になって使えなくては意味がない。試合で使えるようにし、さらに大会や試合で培った経験をその先の社会でどう生かすかが、私たちの目指すところである。嘉納治五郎は柔道を修行する目標を「自己の完成」「世の補益」と言っている。一言たりとも、強くなれとは言っていない。今の柔道界がなぜ道を誤ったか。人間には欲があり、それに動かされる。柔道の場合は金メダルで、国民の期待に応えなければという呪縛もある。嘉納治五郎の理念や理想を私たち日本の柔道家が受け継いできたが、長い期間のうちに受け継ぐ人の主観が入る。そして、少しずつ道が変わってきた可能性があり、昨今いろいろな問題が出てきたことで、原点に返る時期に来ているのではないだろうか。

日本式のスポーツの指導を考えると、まず基礎は徹底的に教える必要がある。判断基準がない状態で自由を与えれば暴走する。「駄目なことは駄目」という判断基準をしっかり教えるのが教育の基本で、スポーツでもすごく重要である。そして、最終目的は金メダルにあらず。スポーツは、勝つことを目的としたものではなく、どうやって社会に役立つ人間を育てていくのかが目的。なぜ暴力に頼る指導法がいけないかというと、殴られなければやらない人間は社会では通用しないからである。スポーツで教わるのは、自分で目標を作り、自分を律し、自分の足で立って目標に向かっていくこと。

従順な人間が出世するのがまだ日本の現状だが、国際的な舞台では主張できずに終わってしまう。今の時代に合うのは、自分で創造できる、イノベーションを起こせる人間。日本の教育には「守破離」があり、最後の「離れる」ところまで教えれば、そういう人間が育つ。スポーツ分野だけにとどまらず、様々な分野で活躍できる人材を輩出していくことが、これからのスポーツ界に課せられた使命だと思う。今後も、柔道、スポーツを応援してほしい。

日本文化には、数多くの『道』があります。

・格闘技系⇒柔道・剣道・合気道・弓道・相撲道・殺陣道
・文化系⇒華道・茶道・書道・香道

手法は違っていても人間性・精神性を高める為の「技術」を追究・極める人としての「道」は、日本人として誇れる文化ですね!

最後に、昨今よく取り沙汰されている英語教育。
私は日本人として、もっと日本文化「道」を学校教育に取り入れて頂きたいと切に願っております。

道(みち、どう、タオ、ド)

武芸 (日本) – 日本における価値観。哲学とも言われ、一つの物事を通じて生き様や真理の追究を体現することや自己の精神の修練を行う事。「残心」に代表される日本独特の所作や価値観を内包する。
武道 – 剣道・柔道・弓道・空手道など
芸道 – 茶道・華道・書道・日本舞踊など
その他 – 近年、近代では武芸に含まれない物事などにも道を付けて表現する事がある。

経営は商道、マネジメントは科学

創業して10年ぐらい経った時でしょうか。こんなキーワードを胸に秘め経営に臨んでいました。

 「経営は商道、マネジメントは科学」。経営には道がある。それは人の道に通じる商いの道である。そして、マネジメントとは経済合理性の追求であり、反復可能で検証出来る経営スキルが存在する。と考えていました。何か分かったような分からないような感じもありますが。経営とマネジメントって同じじゃないの?と問われると答えに詰まるのですが、それでもこのキーワードは何となく自分なりに受け止めていたのです。

 今でも正しいように思っています。マネジメントとは管理技術なんですね。それは経営者に求められる経営資源(ヒト、モノ、カネ、情報)の経営スキルのことです。一方、経営とはこの場合、日本型経営を指していて、西欧から入ってきている理論とは別次元にあるものです。とは言っても終身雇用や年功序列のことを差していません。私が思うに、茶道や花道、そして柔道や剣道のように日本の文化に根ざした伝統的な道の追求が、日本型経営にもあると思っているのです。

 以前、調べてみたのですが、日本の株式会社の創始者・渋沢栄一がこんなことを言っています。「営利の追求も資本の蓄積も、道義に合致し、仁愛の情に基づくものでなければならない」これを道義経済合一説というらしいのですが。とても純日本的で、今日では多少、陳腐化した概念になりつつあると思いますが、私はむしろ再認識すべきと考えています。

余談ですが、柔道がオリンピックの正式種目になり、本来の”柔の道”に対する価値観が希薄になったと言われています。一方、剣道はそれを嫌い、あえて国際化をしない、ましてオリンピックの種目には望まない、とも聞いたことがあります。それは剣道の持っている日本人特有の精神を失いたくないからです。

 これって結構、経営にも当てはまるような気がします。日本の独特の経営スタイルをメンタルの面でしっかりと身につけ、その上でグローバルスタンダードに適応したマネジメントを実践していくことが出来たらベストじゃないでしょうか?

 私自身の経営スタイルは”大家族主義、喜怒哀楽を分かち合い共に成長していこう”です。人生は一期一会、出会いを大切にし会社という枠組みを超えた生き方をお互いに尊重していこう。そして、”商いの道が人間の道に通じる実践”を企業活動の中で積み上げていき、価値ある人生を送っていければと思っているのです。とても日本人的な発想ですが、こう思い経営者としての醍醐味を感じているところです。

華道、茶道、剣道、柔道。その他「道」のつく世界にはすべて「生き方」があるのです。「道」とは、生き方であり、生きる哲学なのです。

日本の「道」は、日本の長い歴史のなかで、物理的な意味を超え、精神的な側面も開花させていった。「茶道」「華道」「香道」「書道」「柔道」「剣道」「弓道」「合気道」のように、日本人としての精神性を表し「芸事」を「人としての生き方を示す精神」=「道」の次元で受け入れた。





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